rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

学校や仕事でなにを学ぶか


小学校、中学校、高校、大学、と学校では
なにを学ぶのだろうか。また、仕事をして
いく中でなにを培っていけばいいのだろうか。


一般には、受験がある場合は受験のための、
就職がある場合には就職のためのテクニック
を学ぶためだけのものになってしまっている
ような気がする。仕事においても、目の前の
合理性や機能性といったことやスキルだけ
しか身につけることができない環境に成り
下がってしまったような気がしてならない。


人間が生きていくために必要なことはどうやら
学ぶことができなくなっているのではないか。


生きていくために必要なこと、それはある
状況に置かれたとき、自分のあたまでその
状況を分析し、どういう行動を取ればそこ
での状況を打開できるかということではない
だろうか。学校で教えている学問は、実は
このことと無関係なものばかりではない。
受験や就職のためにそれらをただ丸暗記
させられているだけなのだ。そこには、生き
ていくためのヒントがたくさん含まれている
はずだ。教える側がそうした意識をもって
さえいれば、まったく違う素材になりうるのだ。


自分はこれからどう生きていきたいか、他者
とどう折り合いをつけていくか、ということを
自分のあたまで考え見つけていくといった
世の中で生きていくための基本的なことを
学ぶところ、学校というものはそういうもの
であったほうが、地域社会や国家や世界を
豊かなものにしていくのではないだろうか。
そうなっていけば、仕事をしていく中でもより
深みのあることを学ぶことができるような環境
が出来上がっていくような気がしてならない。


なにが大事でなにが必要ないことか、よ〜く
見極めて生きていきたいと思う。