rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

対話とコミュニケーション


人間が社会的に生きていくにはコミュニケーション能力が
必要だと言われるようになって久しい。世の中の大体の
ものは、社会の中で大きく取り上げられ議論されるように
なるとその言葉は既に死んでしまっている。受験、就活、
研修、婚活、終活などがその代表である。いかに学び
豊かに生きていくためのものだったものが、それらの
言葉によって言葉そのものが目的化され本質的な意味
を喪失してしまっている。コミュニケーションもその一つ
である。流暢に話すことそのものが目的化されてしまって、
それぞれの意思を伝え合い両者の一致点を見出だして
いくという本質は抜け落ちてしまっている。


ふつう、他人が何を考えているかは分からないもので
ある。自分が何を考えようとしているかについてもよく
分からないことも多い。だからこそ他人と対話するとき
は、相手が発話する言葉を深く読み取り自分の言葉に
替えて話し、何を言わんとしているかを類推し確認し合う
ことで、意味のやり取りをすることができる。話の流れ
の中でそれぞれがなにを意図しているかを理解し合い、
両者の一致点を見出だしていく。これこそが本当の意味
での対話であり、コミュニケーションというものである。


このところ世の中を見渡してみて、キーワード的なもの
がつくられその言葉そのものが目的化し、本質的なこと
が抜け落ちてしまっていることがあまりにも多く、ついつい
こんなことを考えてしまった。