rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人はイズムによって生きていない


なにかに対して意思を持って行動していると、
そこには考え方の方向性のようなものが立ち
表れてくる。それがイズムである。


そうした方向性が現在進行形で共有されて
いる場合はなんら問題ない。


しかし、イズムは世の中に広まってくるとイズム
が先行し、亡霊と化したイズムが社会を動か
していくことがある。これがファッショの原型で
ある。


亡霊と化し、死んでしまったイズムは今でも
世の中に数多く横行し続けている。こうした
イズムを注意深く見分けていかなければいけ
ない。


それは、個人にも、地域社会にも、会社にも、
国家にも、世界にも、どこにでも存在している。
いわばそれこそが見えざる敵ともいえるものの
姿である。


人は意思を持つとイズムとともに存在するが、
イズムによって生きているわけではない。