rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

制度化について


制度とは個人と社会の取り決めである。憲法
のような大きな取り決めは必要不可欠なもの
だ。しかし、具体的に個人を縛る制度は時と
してかくあるべしという方向性とは逆の力が
作用することがある。


身の回りの小さな集まりで、これまでは以心
伝心でお互いのことを思いやり具体的な作業
をそれぞれが行っていたが、ある時期にそれ
を決まり事として成文化するとその事象その
ものに意識が集中してしまいこれまでのいい
関係が崩れてしまうことがよくある。


小学校の運動会の徒競争などで、平等である
ことを身に付けさせるという目的で横並びで
ゴールさせるということがあった。考え方は
分からぬではないが児童は各自がそれぞれ
の得手不得手があり全てのことで平等にふる
まおうとすればする程、実際には個人として
の児童は平等からかけ離れていく。平等とは
意思のような概念のようなもので制度として
フィックスしてしまうとその概念は死ぬ。


ゆとり教育というものもあった。理念そのもの
は、授業にゆとりを持たせて自主的に自分
の頭を使って考え、積極的に社会に関わって
いくというとてもいいものであったが、制度化
してしまったがゆえにその高邁な理念は消え
去った。


大学ではグローバル推進校というものが制定
された。世界的進行しつつある新自由主義
グローバリズムに対応しようと決められたこと
だと思うが、これまで書いてきたことから推測
すると制度化することによってグローバル化
に失敗する。おそらく長い目で見るとこれは
いいことだと思う。文部科学省はこのことを
見越してグローバル推進校を決めたのだと
すれば慧眼の持ち主だといえよう。そうでは
ないことはこれまでの実績で重々承知して
いるが・・・。


世の中に存在する制度のことを考えている中
でこんなことを考えた。