rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

理念の脱意味化、そして無効化


何かものごとがカテゴライズされ名前が付く頃
には、それは脱意味化し無効化している。総合
学習やゆとり教育もそうだろう。社会の出来事
を総合的に見つめ人々と交流するという当初の
理念は、総合学習という名前が付けられ制度化
されると、その言葉そのものが目的化し理念は
失われる。ゆとり教育もしかり。本当に実行す
べきことは、名前を付け制度化することなく行わ
れなければいけない。


受験、就活、婚活、終活、研修などもみな同じ。
言葉だけが目的化され、その先の本当に大切な
ことが見えなくなる。行政、国家政策も同じこと
だと思う。


言語化や制度化は、予算取りなどでは必要な
作業である。それは重々理解しているつもりで
ある。しかし、理念的部分で言語化や制度化が
行われるとその理念は死を迎える。現在、世の
中の様々な問題を引き起こしている原因の多く
はここにあるように思えてならない。


今朝、布団の中でうつろうつろしている間に
こんなことを考えた。