rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

できないことはできること


スポーツの世界でトップにまで上り詰めた人
の話で、そのスポーツをはじめたときはそん
なに得意ではなく、むしろうまくできなかった
ということを何度か聞いたことがある。


そういえば、中学のころ、バレーボールや
バスケットボールをはじめたときから器用
にこなす人が何人かいたが、彼らはそれら
のスポーツのレギュラーになることができ
ない人が何人もいた。


自分の推測だが、なにかが直感的に上手
にできるということは、無意識にはできるが、
意識的に対象を分析し、自分の行動に応用
するという行為をするまでに至らないから、
後の発展がないのではないか。


逆にできない人は、なぜできないかという
問題に最初にぶつかる。まず、対象を分析
しなければなにもはじまらない。意識的に
それができるようになり、そのうち無意識に
できるようにもなる。そのうち、また同じような
問題にぶつかる。そして、同じように問題を
乗り越えていく。これを繰り返すことでトップ
まで上り詰めていくことができるのだろう。


そういえば、僕もはじめは図面も模型も上手
ではなかった。上記のプロセスを経ていくうち
に他の人よりもうまいといわれるようになった。


できないということはできることであり、できる
ということはできないことである。