rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

立ち位置について


建築および他分野の集まりに出ていくと、違和感
を感じることが多い。発言者の立ち位置が見えない
からだ。


最近、家で1987年のブルーハーツのアルバム
THE BLUE HEARTS」をよく聞く。気持ちが熱い
ものや真直ぐなものを求めているからだろうか。
曲の中でも「パンクロック」という歌にはぐっと来る。
パンクロッカーである甲本ヒロトが、「僕はパンク
ロックが好きだ〜」と歌うのである。恥ずかしげも
なく好きだといえるところがものすごくいい。


実は、僕も建築が好きだと声を大きくしていい
続けたい。仕事がない頃、かみさんに、「俺は
建築のデザインをしていないと死んじまうんだ。」
と毒づいたことをふと思い出す。自分には建築
しかない。僕の立ち位置は建築家というスタンス
しかないのだ。


人は仕事によって社会に関わっている。逆をいえ
ば、仕事がもっとも社会に関わりやすいということ
だ。表層的に自分の仕事と社会のかかわりを見い
出すこともできるが、専門性をより深く突き詰めて
いけば、他分野の人達と共通の地平にいたること
ができる。


僕は建築以外の他分野に関わるときも、建築という
視点で発言する。他分野の人はその人の仕事の
立場で発言する。そうすることによって、議論の場
は初めて立体化し、時間性や場所性を帯びてくる。


もちろん専門性を意固地に語るだけではいけない。
それぞれの人が俯瞰する思考を持ちながら、専門
の立場から語る。相手のいうことをオープンに受け
取り、相手の立場を想像することも必要だ。


最近、立ち位置がはっきりしない人の発言が目立つ
と思うのは僕だけだろうか。