昨今は、大学生は2年生秋から、院生修士は
1年生秋から、いわゆる「就活」をするらしい。
大学も大学院も半分しか勉強する期間がないと
いうのが現状らしい。なぜ、大学や大学院に行く
のかという意味が転倒してしまっている。本来
なら学問をするために行くもののはずであるが、
どうやら就職するためにいくためのものに成り
下がってしまったようだ。
受験は受験産業がなるべく多くの人に受験して
もらえるように、受験産業が示すものを必ず通ら
なければいけないものとして形式化すること
によって成り立っている。受験を「学活」と言い
換えればよく分かるだろう。「婚活」というのも
そうだが、「〜活」というのは、リクルート会社や
結婚産業が、受験と同じようなシステムを使う
ことによって利潤を得ようとしている。それに
みんなまんまと乗せられていることにほとんど
だれも異を唱えない。不思議だ。そんな中で
先日、法政大学の学生が「就活」廃止のデモを
したそうだが、是非応援したいと思う。
世の中には、こうした形式化で利潤を上げようと
するシステムがはびこっている。古くから、お寺
などが冠婚葬祭を形式化儀式化することで収益
を得ているしくみもまったく同根のものである。
気を付けなければいけない。
この学問をしたいから大学を目指す。この仕事
をしたいからこの会社に就職する。あの人が
好きだから結婚する。これからも、形式にとら
われず、目標を設定して行動し実行するという
人生を歩んで生きたいと思う。