rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「〜活」的なるもの


昨今は、大学生は2年生秋から、院生修士
1年生秋から、いわゆる「就活」をするらしい。
大学も大学院も半分しか勉強する期間がないと
いうのが現状らしい。なぜ、大学や大学院に行く
のかという意味が転倒してしまっている。本来
なら学問をするために行くもののはずであるが、
どうやら就職するためにいくためのものに成り
下がってしまったようだ。


受験は受験産業がなるべく多くの人に受験して
もらえるように、受験産業が示すものを必ず通ら
なければいけないものとして形式化すること
によって成り立っている。受験を「学活」と言い
換えればよく分かるだろう。「婚活」というのも
そうだが、「〜活」というのは、リクルート会社や
結婚産業が、受験と同じようなシステムを使う
ことによって利潤を得ようとしている。それに
みんなまんまと乗せられていることにほとんど
だれも異を唱えない。不思議だ。そんな中で
先日、法政大学の学生が「就活」廃止のデモを
したそうだが、是非応援したいと思う。


世の中には、こうした形式化で利潤を上げようと
するシステムがはびこっている。古くから、お寺
などが冠婚葬祭を形式化儀式化することで収益
を得ているしくみもまったく同根のものである。
気を付けなければいけない。


この学問をしたいから大学を目指す。この仕事
をしたいからこの会社に就職する。あの人が
好きだから結婚する。これからも、形式にとら
われず、目標を設定して行動し実行するという
人生を歩んで生きたいと思う。