rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

またまた仕事について


このたびの東日本大震災では東北の太平洋
側の建築物は甚大なる被害を被った。そこでは
これまでの仕事の概念は消え去っている。


ネクタイを締めてスーツを着て、会社に行って
パソコンの前に座って作業するという、仕事を
し貨幣による報酬を得る。そんな当たり前だっ
た「仕事」がいまそこにはない。


目の前にあるのは、瓦礫を撤去し再度まちを
つくっていくことだ。それはいわゆる「仕事」では
ない。そこには貨幣を伴う報酬はない。仕事
とはなにか。人が生きていくために成すべき
ことと考えると、まずは食べるものをつくり食べ、
雨露をしのぐことができる住居を維持していく
こと。シンプルな意味での仕事には貨幣が介在
しない。それらの仕事のしくみをみんなが共通
認識でき、貨幣を通して便利にしていくことで
いまの「仕事」が成立していった。この過程を
考えないで、表層だけを見ているとどんどん
「仕事」はルーティン化していく。そして、周辺
のことがどんどん見えなくなっていく。


いまこそ、仕事の本質を問い直すいいチャンス
かもしれない。