rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

意志と情熱と行動、そして贈与


意志も情熱も行動も、決して静的なものでは
なく、動的な方向性つまりベクトルを持って
いる。


知識や教養は、固定的で暗記すべきものと
みなされがちである。


例えば歴史的なある史実は、その時代の空気
があり、人がたくさん関わり、それらの人たちが
意志を持って行動することではじめて歴史と
して記述されるのであって、動的な方向性を
持つものであることを忘れてはいけない。歴史
を読み解く側も意志を持ち情熱を伴いながら
行動していれば、その歴史的事実も異なった
ものとして浮かび上がってくる。知識や教養
というものにはそもそもベクトルが絡んでおり、
ベクトルを持って見直せば立体的動的なもの
として立ち上がってくる。


ベクトルを持ちながら生きること。人生に必要
なものはこれだけである。これさえ身に付けば、
周囲や世界が見えてくるし何を学び考えれば
いいかが自ずと分かってくる。数値還元的市場
中心主義の枠内から離脱できない人には、まっ
たく理解できない世界である。なぜならそれら
は一切数値に還元できないものだからである。


贈与という概念も市場中心主義からは抜け落
ちている。現代において、数値還元化しにくい
職業で代表的なものに、医師と教師が挙げら
れる。患者や生徒に与えているものは数値化
など到底できないものである。言わば、金銭と
は関係のない贈与的なものがプレゼントされ
ているのだ。聖職と呼ばれてきた所以である。
建築やデザインにも似たような側面があるよう
に思う。


贈与的なものが無視され、すべてのものが数値
還元的市場中心主義で取引されている。現代の
諸問題の根源はここにある。贈与的なものを見
直し、みなが意志を持って情熱を伴いながら行動
できる社会を取り戻さないと大変なことになる。