rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

社会共通資本

ここのところ、経済学者の宇沢弘文氏(1928~2014年)のことが気になっている。「社会共通資本」ということばもは彼によるものである。この考え方や役割を、経済学史の中に位置付け、農業、都市、医療、教育といった具体的テーマに即して、豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的魅力のある社会を安定的に維持することを目指している。

 

農業、都市、医療、教育というものは、数値化や資本主義とは相性がわるいものである。いわば、贈与的なものによって動かされていくものである。これまで、推し進められてきた新自由主義グローバリズムとは正反対の性質のものであるといえよう。シカゴ大学で同僚であったミルトン・フリードマンとも激しく対立していたらしい。フリードマンのいう市場経済を優先した方が経済は効率的に成長するという主張に対して、宇沢氏は効率重視の過度な市場経済は、格差を拡大させ社会を不安定にすると反論した。市場原理に任せてはいけないものがあることを強く主張している。

 

日本でも、中曽根政権時代から小泉政権を経て、新自由主義化とグローバル化が進み、鉄道、水道、医療、教育などが民営化され市場原理に委ねられ、格差が拡大し社会が不安定になってきた。まさに、その時期にこんなことが起こっていたとは理解できなかった自分がとても悔しい。

 

感染症ウクライナ戦争によって、新自由主義グローバリズムによる世界が揺らいできた。こうした時期に宇沢弘文氏の「社会共通資本」のことを思い出した。宇沢氏の本は1冊しか読んでいないので、これから何冊か読んでみよう。

 

内田樹氏が、ホスト近代のあとには前近代になると予言された。このことは、贈与的なことによって世の中が動く「社会共通資本」こそがとても重要な時代になっていくということと同義だということができよう。