rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

部分⇔全体


建築というものは、建築物が示すビジョン
(全体)がなければ、ほんとうの「建築」
にならない。それと同時に全体の構成に
従ったプランニングやディテールがなけれ
ば、これまた真の「建築」にはならない。


中間領域も含め、全体をデザインしながら
部分を考える、納まりなどの部分を決める
ときに全体を意識する、というようにそれら
を行ったり来たりして設計するのが建築で
ある。


建築にその傾向がより顕著に現れるが、世
の中のほとんどのことは、「部分⇔全体」
を同時に考えることで初めて成り立つので
はないか。


学生の設計の江スキースをしていて、多く
の人が部分から思考しようとしている。この
建築のビジョンやコンセプトは何かと問うと
みな絶句してしまう。全体を見落としている
のである。全体と部分が密接に関係し合わ
なければ建築にならない。これから腰を落ち
着けて「部分⇔全体」の思考方法について
伝えて生きたい。


世の中で自立した人間として生きていくため
には、様々なことについて考えまとめ上げて
いく力が必要である。「部分⇔全体」の思考
が求められている。昨今の若者の思考能力
の低下はこのあたりのことに起因している
ように思えてならない。