rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

与えられて生きているという感覚


自分が築いてきたことは、自分の才能と努力
によるものだとついつい考えてしまうが、よ〜く
考えるとまったくそうではない。


まず、生まれてくることは自分では選べない。親
からその機会が与えられた結果人は誕生するの
だ。知識が身についたのも、親が学校に行かせ
てくれたからだ。


何とか仕事を得て食いつなげているのも、誰か
がチャンスを与えてくれたり、引き上げてくれた
り、贔屓にしてくれることで始めて仕事を得て
生活していける。実は自分の存在はすべてと
いっていいほど他人による贈与によるものな
のだ。


すべての人が与えられて生きているという状態
はあり得ない。与えられる人と与える人が半分
ずついたら成立するかもしれないがそんなこと
はあり得ない。


与えれらたものは、与えられるべき人に贈与
していくことで世の中は平衡を保つことができ
る。与えられたら、それを他人に託す。それが
あって社会は初めて豊かなものとなる。


ふと半生を振り返ってこんことを考えた。