教養とは、なにか実体があり記憶するようなものだと
思われがちだが、そうではないと思う。
器が大きいとか小さいとかという、器という言葉がある。
教養とは実体ではなく、大小複数の入れ物のようなもの
で、意志によって、初めてそれを発動することができる。
まずは、大きな器があり、様々な分野を納める中くらい
の器が複数あり、さらに細分化された小さな器がある
というふうに様々な分野の器が分類整理されている
状態のことを教養というのではないか。
ある不測の事態に遭遇した時、異分野中くらいの器や
小さな器を複数組み合わせて、そのいままで遭遇した
ことのない問題を意志によって解決していく。さまざま
な分野、さまざまな大きさの器をどれだけ広く深く持って
いるかが、教養の広さ深さにつながっている。
いまの教育制度には、上に書いたような教育をする
ための土壌がない。横断的に考え、新たな問題を
解決していくためには教養こそが最も必要なもので
はないか。
だからこそ自分も、日々本を読み、いまだ未知な知識
を取り入れている。学校での勉強より、卒業後の死ぬ
まで続けるこうした勉強こそ重要なのである。学校では
卒業後どのように学び考えていけばいいかだけを身に
付けるだけでも十分である。
それらは、特定の仕事や分野ではなく、地上に存在
するあらゆる仕事や分野に大きく関係しているもので
ある。
自分のこれからの勉強について考えるうちにこんな
ことを考えた。建築はもちろんその他人生に関わる
ことを、これからも更に深めていくためにずっと勉強
を続けていくことになるだろう。