rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

指定管理者という言葉に感じた違和感

f:id:yoaa:20220629061340j:image何年まえからだろうか。公共施設の運営を「指定管理者」が管理するようになった。この言葉にずっと違和感を感じていた。知らぬ間に、新自由主義グローバリズムがひしひしと忍び寄っていたのだ。

 

歴史を振り返ると、新自由主義は、中曽根内閣の国鉄民営化、小泉内閣郵政民営化、と着々と進んでいた。その当時は、わるいイメージはなく、むしろ歓迎すべきことと思っていた。グローバリズムは、東西冷戦が終了するとともに一気に進んだ。いまでは、世界中から資本主義が搾取すべき辺境がなくなってしまった。

 

指定管理者に違和感を感じ始めたころ、新自由主義グローバリズムは人々にいいことをもたらさないということに気付くようになった。まんまと権力側がいうことに騙されていたのだ。

 

感染症と戦争の時代がやってきて、それらの危険性がより明確に見えるようになってきた。この時代の転換点にあって、われわれはどのように考え行動をすればいいのだろうか。これを理解したいがゆえに読書を続けていく。