rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ルーティン


ルーティンで処理することを決めている。まずは、新聞をポストまで朝夕に取りに行くこと。ゴミ出し、ちょっとした洗い物、観葉植物の水遣りなどである。わざわざやらなくてはと考えると面倒くさくてやりたくなくなる。いつものタイミングで、考えることもせず、当たり前の日課として処理するもの、それがルーティンである。そう意識することでやらなければいけないという義務感は消える。

 

また、ルーティンには別の効用がある。いつものリズムで、同じようにルーティンをこなしていると、いつもとなにかが違うとふと気付くことがあったりする。自分のからだや事前環境などの日々の微妙な変化を感じることができるのである。

 

イチロー選手や、テニスなどのトッププレーヤーもさまざまなルーティンを決めている。いつものと違う何かを察知するためにやっているのではないかと思う。なにか変化があれば、それを感じ取り、試合にアレンジしていくなどのようなことをしているのだろう。

 

自分の日々の最たるルーティンは、アルコールを飲むことである。ここ最近は、健康に過ごしてきたのでいつもおいしく飲んできた。しかし、10年に1回くらいの割合で、アルコールを見たくない飲みたくないということが何度かあった。風邪や何らかの感染症によるものだと思われるが、からだがアルコールをまったく受け付けないのである。不思議なものである。おいしくアルコールを飲めている間は健康である証明である。こうしてアルコールを飲む習慣を健康具合を計るためのルーティンとして日々こなしてきた。

 

おいしい料理を食べ、これまたおいしいお酒を飲みながら、楽しい仲間と語り合う時間ほど贅沢なものはない。