rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

身体の輪郭


冬と春、春と夏、夏と秋、秋と冬、といった季節の変わり目に
からだの輪郭があいまいになっていることを感じる。
まちを歩いていても、脚に伝わる重力が一定に感じられないことがある。
かなりふらふらした状態で歩かざるをえないことがあるのだ。


冬や夏には、表皮に明確にからだと周辺環境とを分ける境界がある。
それがどこにあるかが不明になるのが季節の変わり目である。
それは表皮から離れたところだったり、骨のちょっと外側だったりする。


ひとと外部環境との境界はどこにあるのだろうか。
免疫学的には、免疫系が外部との境界面になるらしい。
物理的にはもちろん表皮がそれに当たるだろう。
精神的な部分ではどうだろうか、やはり脳だろうか。
村上龍が、一つ一つの細胞が思考しているとどこかに書いていたが、
細胞がある特殊な指示で、脳になったり、骨になったり、肉になったり
するとしたら、思考の境界も細胞にあるような気がする。


身体の輪郭があいまいになるときは、大体意思力が弱っているときと重なる。
免疫系も意志が弱っているときにやられやすい。
私は精神主義者ではないので、積極的に精神力で何とかなるといいたくはないが、
意思とからだの境界の間にはなんらかの関係がありそうだ。