rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

制度と現実のディスタンス


憲法、法律、条令、告示、指導、・・・制度は、現実とは
一致することはない。


現実をとらえようとして、しくみを制度化しようとしても、
最初は、かなり近い位置まで来るが、現実は、制度を
するりとすり抜け、制度を逸脱した現実をつくり出して
しまう。


いくら制度を精緻につくったとしても、現実とは永久には
一致し続けない。


制度は現実を制御するためにつくられる。ということは、
制御される現実が、制度をすり抜けるのは当然の結果
ともいえる。


制度は固定されたものではなく、ベクトルのようなもので、
時代の変化に伴って、現実に寄り添うようなものがいい
のかもしれない。


日常生活でもそうだ。家族内で、決まりごとをつくっても
ずっとうまくいくはずはない。日常の出来事も、制度化
されると、人の気持ちという現実がそれを逸脱しようと
しはじめる。


ひとの立ち位置を決めたり、役割を決めるような制度化
は必要だが、共通の意思やベクトルを決める程度が
ちょうどいい。よりよい社会をつくろうとする意思の総体が
イデオロギーというものだが、社会を取りまとめようと
する意思そのものが衰退してしまった。イデオロギー
枯渇し、古い制度となってしまったものだ。固定化された
イデオロギーに代わるものが求められている。


いまほど、「ちくわハウス」の精神が有効な時期はない。
中心(イデオロギー)を持たず、つねに逸脱して、フレキ
シブルにハッピーを生み出していく精神・・・。