rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自分では決められないこと


生まれることと、死ぬことは、基本的には自分で決めるとは出来ない。人間以外の生物は、それは自明のこととして受け入れており疑問を抱くことはない。人間という生物は、一定以上の知能を持ってしまったが故に、なぜここに生まれてきたのか、なぜいろいろな理由で死ななければいけないのか、といったとても応えがたい疑問を抱くようになった。

 

それゆえに、超越的な存在をいただく宗教が生まれてきた。そして、さまざまな学問も基本的にはその疑問に応えるべく生み出されてきたといえるのかもしれない。人間というのは本当に難儀な生き物である。

 

学問は、自分で決められることを見つけるためにつくられたともいえる。つまり、生まれることと死ぬこと以外で、自らの意思で決められることはなにかを見つけるのが学問

であるともいうことができるのかもしれない。自由というものはそこにしか存在することができない。

 

しかし、ものごとは運命論的に動いており、自分の自由な意志ではどうすることもできないことが多い。

 

以前にも書いたが、近所のお寺の掲示板に書いてあった「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という標語は本当に優れたものであることを改めて思う。